松原諏方神社上社と信玄
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松原神社は、上社と下社に分かれており、神仏習合の時代にはそれぞれに千手観音と普賢菩薩が祀られ、僧侶たちが経を唱え、念仏を捧げていました。また、十社ほどの末社があり、さらに伝承では八十八社もの石宮があったと言われています。
氏子たちは、年間で75回の祭を行い、平和を神に祈っていました。そのため、徳川幕府は松原神社に三十石の朱印状を下し、松原の氏子たちは税の免除を受け、伝馬役や助郷の義務も免れました。また、武田信玄はたびたび寄進を行い、松原神社を支援していたそうです。戦に臨む際には、戦勝を祈願する願文を捧げ、神の加護を求めていました。
松原神社の歴史は古く、天慶年間(939年)には「伊那古松原大明神」と呼ばれていた記録が残っています。また、観応3年(1352年)には、諏方の神が松原へ飛来したとの報告を、当時の宮司であった泉大夫が室町幕府に届け出たことから、「諏方神社」と名を改めました。
松原神社の祭神は、建御名方命(大国主命の次子)、八坂刀売命、そして事代主命です。建御名方命は国譲りの際に敗れたものの、勇敢に戦った神として、古くから狩猟・農耕・軍神として信仰されてきました。源氏、武田氏、徳川氏、伴野氏など、多くの武将に崇拝されていたことが、現存する古文書にも記されています。
全国にある諏訪神社の多くは「方」の偏がある「諏訪」と表記されていますが、松原諏方神社は少数派の「方」のない表記を守り続けています。室町幕府に届け出た文書も「諏方」の表記であったそうです。かつて、戦国時代の諏訪湖にあった諏訪神社も同じ表記を使用していましたが、松原諏方神社はその伝統を今も頑なに受け継いでいます。
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