松原諏訪神社の梵鐘
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この鐘は、鎌倉時代の弘安2年(1279年)に旧浅科村の新善光寺に寄進されたもので、その由来や歴史が詳細に記録されています。また、それ以前の寛元2年(1244年)に、新善光寺の仏像である『一光三尊仏』が本尊として作られたことも記されています。この鐘には天女の陽刻が施されており、全国的にも非常に貴重なものとされ、昭和36年には国の重要文化財に指定されました。
武田氏が信州佐久に攻め入った際、この鐘が当時あった慈寿寺(現在の時宗寺)を焼き払い、鐘を略奪して自国・甲州へ持ち帰ろうとしました。しかし、鐘があまりにも重く運べなかったため、途中で捨てたとも、あるいは崇拝する松原神社に寄進したとも伝えられています。いずれにしても、村人たちはこの鐘を大切に保管していましたが、「鐘を安置する場所は必ず火災に遭う」という噂が広まり、長い間、屋根のない雨風にさらされる場所に置かれていました。この鐘がもともとあった寺が焼かれ、多くの人々が命を落としたため、祟りだとも言われていたのです。
戦時中、軍からの金属供出命令によって、松原諏方神社の梵鐘も提出の対象にされました。しかし、不思議なことに、ある夜から「鐘が泣いている」という噂が広まりました。村人たちは「きっとこの鐘は、戦争のために武器となり、人を殺めることを嫌がっているのではないか」と考え、相談の末、「それならば鐘を隠してしまおう」と決断しました。その勇気ある行動のおかげで、鐘は供出を免れ、今も大切に保存されています。
この貴重な鐘は、歴史的価値が高いだけでなく、平和の象徴としても大切に守り続けていきたいと考えられています。
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