長湖の歴史と神光寺
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長湖に突き出た半島の中央には、かつて『神光寺』という1042年の歴史を持つ寺院がありました。この寺は西暦826年、慈覚大師が開山したと伝えられています。松原諏方神社の別当寺でもあり、七堂伽藍が立ち並ぶ立派な寺院でした。さらに、源頼朝が寄進したとされる三重の塔もあったそうです。
神光寺は多くの優れた僧を輩出しており、その中でも特に有名なのが、岡山県の吉備津神社にある別当寺『真如院』の瞬祐和尚です。彼は神光寺で修行を積み、現地で大きな足跡を残しました。
しかし、明治時代に入ると、政府による排仏棄釈(「日本は神の国であり、仏を排除する」という政策)の影響を受け、さらに火災や風害によって寺院の維持が困難となり、廃寺に追い込まれました。その後、本尊は八那池の秀光寺に一時預けられ、さらに南牧村海尻の医王院に移され、現在もそこに安置されています。また、普賢菩薩と千手観音の二体の仏像は稲子の弥勒寺裏にある観音堂に、六百巻のお経は平賀の中善寺に移されました。そして、神光寺にあった三重の塔は佐久市前山の貞祥寺に移築され、今も現存しています。
神光寺の敷地内には、1643年(寛永16年)に建てられた宝筺印塔や、阿弥陀如来像の仏面石、供養塔などが残っています。また、三方を守護するために建立されたとされる石の祠も見られます。東には寛政4年に建てられた東照宮(俊静)、北には妙見宮(北斗七星を祀る)、西には聖権現(口十辰、真俊)の祠が岩の上に鎮座しています。
さらに、かつて神光寺と同じく立派な寺院とされる『神宮寺』も、猪名湖のほとりに存在していたことが、昔の絵図に描かれています。神宮寺は藤嶋田んぼから猪名湖にかけて広がる場所にあったとされています。
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