休館日:火曜日(5月3日は開館)・祝日の翌日(5月6日)
開館時間:午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)

開催場所:小海町高原美術館
入館料:高校生以上500円、小中学生150円


主催:小海町高原美術館、「八幡学園」山下清展事業委員会
後援:長野県、長野県教育委員会、信濃毎日新聞社、SBC信越放送、NBS長野放送、TSBテレビ信州、abn長野朝日放送、
FM長野、八ヶ岳ミュージアム・リング

八幡学園は昭和3年(1928)、久保寺保久が自宅(千葉県市川市)を解放し日本で8番目の知的障害児救護施設として開園しました。学園標語「踏むな 育てよ 水そそげ」をモットーに、今年創立88年を迎えています。学園長はじめ職員は入園してくる子どもたちを父母、兄姉として迎え、学園生活での喜びと心の安定を求めるために、一人ひとりの特性を見出し、その子にあった作業(絵画、工作、園芸、縫製等)を与え、心の触れ合いを通して園児たちの特性を高めていきました。
昭和11年(1936)、早稲田大学心理学教室・戸川行男助手(後に名誉教授)は、八幡学園に障害を持ちながらも絵に特異な才能を持つ園児がいることを知り“特異児童の心理学的特性とその成果”について研究するため八幡学園を訪ねました。2年後の昭和13年(1938)、その研究成果を早稲田大学大隅講堂で「特異児童作品展」と題して発表、八幡学園の指導理念や園児たちの作品は画家・安井曽太郎、梅原龍三郎らから高く評価され、社会の関心を集めました。
山下清をはじめ仲間たちの作品においては「美」に対するたぐいまれなる「天性」を感じさせます。その才能を開花させ、なおかつ、自発的に工夫するようになるまで指導した指導理念「踏むな 育てよ 水そそげ」は現代の教育のあり方に一石を投ずるものがあるのではないかと思います。
60数年もの長い眠りの中にあった仲間たちの作品は、今も色鮮やかに私たちの目を楽しませてくれています。八幡学園では戸川行男の研究成果をもう一度紹介するため「特異児童作品展」を「山下清とその仲間たちの作品展」と改題、公開することになりました。貼絵の天才・山下清、原始芸術の風格を持った・沼祐一、クレパス画の異才・石川謙二、幼くして絵画的天分を発揮した・野田重博。障害があっても造形美術的能力が如何なく発揮されている「山下清とその仲間たちの作品展」をぜひご観覧ください。


関連イベント
(会場:小海町高原美術館、料金:ギャラリー・トークは入館料が必要、他は無料)

■オープニング・レセプション&ギャラリー・トーク(終了しました)
4月9日[土] 14:00〜15:30 申込不要
ギャラリー・トーク講師:松岡一衛(「八幡学園」山下清展事業委員会代表)

■講演会「なぜ?どうして?真実を求めた山下清」
5月14日[土] 13:30〜15:00 定員50名(先着順、聴講券必要)
講師:松岡一衛 
山下清作品展を通して9年間行動を共にした松岡氏しか知らない山下清の素顔に迫ります。
参加方法:当日9:00より、美術館受付にてお一人につき一枚聴講券を配布します。
会場へは13:00より入場いただけます。(自由席)
放浪日記朗読:神沢のり子

■座談会「郷土のアウトサイダー・アート」
5月14日[土] 15:00〜16:00 講演会に続き、開催します。

パネラー(50音順)
大谷典子(元麻布ギャラリー佐久平 キュレーター)
宮入典子(社会福祉士、pure vision art コンシェルジェ)
宮尾彰(長野県上小圏域 発達障がいサポート・マネージャー)

アドバイザー(50音順)
奥村和子
松岡一衛

オブザーバー
名取淳一(当館館長)

■貼絵ワークショップ「ちょうちょ〜地元の自然にふれよう」
5月21日[土] 14:00〜16:00 定員25名(要申込、小学生以上)
講師:松田拓実(障害者造形教育研究指導員・八幡学園造形教室講師)
申込方法:往復ハガキ(消印有効)、ファックス、電子メール(いずれも題名を「山下清展ワークショップ申込み」として下さい。)のいずれかの方法で、@氏名、A住所、B電話番号、C参加人数(1通につき2名まで)をご記入の上、4月30日までに小海町高原美術館までお申込み下さい。先着順となります。締切後、定員に満たない場合は、電話にて受け付けます。

出品作家

貼絵の天才
山下清
1922-1971(享年49歳)
東京浅草に生まれました。1934年小学6年(12歳)のとき、千葉県市川市にある知的発達障害児入園施設「八幡学園」に入園。ここで貼絵に出合い、園児にやさしい環境のなかで制作に熱中します。入園して6年半後(1940年)18歳のとき住み慣れた八幡学園を出奔、15年半に及ぶ放浪を続けました。この間、時たま学園に戻ってきては印象に残った景色を思い出して貼絵に残しました。
1956年(34歳)で放浪生活に終止符。同年、東京で山下清展が開催されました。学園時代から放浪時代の作品まで一堂に展示され、多くの人々の関心を呼びました。作風がゴッホの絵に似ていることから日本のゴッホとも言われました。
1971年、脳溢血が原因で49歳の生涯を終えました。

クレパスの画の異才
石川謙二
1926-1952(享年26)


「おわかれ」1939年(13歳)

11歳のとき入園してきました。右目はほとんど見えず、18歳頃には左目も視力減退。謙二君は虚弱体質で、入園までは浮浪生活を送っています。言葉は無く、数概念は皆無の重度知的障害児でした。
しかし、入園して2年目(13歳)の春頃から、大判の画用紙に猛然とクレパス画を描き始め、かつて自分が住んでいた浅草の情景を再現していきました。思いをそこにめぐらせば、まざまざと紙上に浮かび出てくるものらしい。
浅草公園の子であり街頭の浮浪児であった謙二君の絵は常に人物が描き込まれる人臭い表現です。

原始芸術の風格
沼 祐一
1925-1943(享年18)


「どうぶつ」1941年(16歳)

10歳のとき、重度知的障害で対応に困るとのことで他の施設より入園してきました。衣服を裂いたり、ボタンを引きちぎったり、時には爆発的に憤怒し、無意味な語を連発したり、人を呼び何か執拗に要請します。
入園当時、この祐一君に絵が描けるなどとは誰も想像しませんでした。その野生ぶりは依然変化しないが、クレヨンや色紙をちぎって絵を描くのです。なかなかどうして面白いもので、祐一君の絵には原始芸術の風格があり、ある意味では清君以上の、その何倍かも不思議であり、奇跡的でもあります。

幼くして絵画的天分の持ち主
野田重博
1925-1945(享年20)



「潮干狩」1938年(13歳)

11歳のとき、救護法該当児として入園してきました。ほとんど読み書き不能で、わずかに氏名を記入し、見よう見まねで日付を書く程度です。小学校には1年級に在籍したことがあります。重い障害を受けていながら、重博君はなかなかに競争心が強く、絵画に剣道に、並々ならぬ進境を見せています。
クレヨン・クレパス・色紙と何でも使って描きます。彼の多くの絵は健康的な印象を与えます。知能の障害は一層厳しいにもかかわらず、作品の多くに写実性を感じることは今後の作品に大きな期待を寄せてもよいと思います。

上記3人の紹介は、早稲田大学心理学教室教授・戸川行男「八幡学園の子供たちの作品を見て」より引用。